万福招来の上がり馬 マチカネフクキタル【ウマ娘シナリオ解説】

本記事では、ウマ娘のアプリ内に収録されているマチカネフクキタルのシナリオについて解説(もとい考察)をしていきます。
主に史実や元ネタ関連の部分にフォーカスすると共に、フクキタルの魅力を綴っていきますので、よろしければお付き合いください。

台湾語翻訳版はこちら

サムネイラスト:あんすきる@an_skill ※転用禁止

マチカネフクキタルの概要

まず、ウマ娘のモデルとなったマチカネフクキタルについて簡単な説明を。
マチカネフクキタルは、1994年の5月22日に北海道の浦河町で生まれました。ウマ娘でいうと「サイレンススズカ」「タイキシャトル」「メジロドーベル」「シーキングザパール」などの同期にあたります。
デビューから2戦は外に膨れる癖が直らず未勝利に終わると、裂蹄(ひづめが割れる症状)が発症し、強めの調教が行えない状態に。これ以降フクキタルは、ずっと裂蹄に悩まされることになります。
それでも日本ダービーの優先出走権が懸かったプリンシパルSで2着に入線し、なんとか日本ダービーに出走。11番人気に推されながら7着と健闘するものの、血統背景(簡単に言うと父母ともにスピードタイプ)から「距離が少し長い」という評価を受けます。

そして7月のさくらんぼS(1700m)を快勝し、「やはりこの距離なら」という評価が盤石に。しかし夏場も栗東に残り調教を重ねると、秋初戦の神戸新聞杯(2000m)では4角最後方から豪脚を披露し、同期のサイレンススズカを差し切って勝利を収めます。この勝利で陣営はひとまず菊花賞に照準を合わせると、続く京都新聞杯(2200m)も勝利したため、陣営は迷わず菊花賞へ送り出すことになりました。

しかし競馬ファンとしては、フクキタルの血統背景から京都3000mを走りきれるイメージが沸かず、菊花賞当日は3番人気に推されました。
すると、その日の菊花賞の流れはフクキタルに味方をします。例年以上のスローペースになり、フクキタルは普段よりも前目にポジションを取ると、スタミナを余した状態で最終コーナーに入り、いつもの豪脚を発揮し菊花賞を制覇します。

菊の舞台でも福が来た」は、菊花賞で実況を担当した杉本清さんがゴール後に放ったフレーズ。この秋にフクキタルが連勝街道を突き進んだことを現した名実況です。ちなみにウマ娘内では京都新聞杯→神戸新聞杯を制すると現実に基づいた特殊実況が聞けます。

ちなみに、馬主の細川益男さんにとっては、馬主生活30余年で初めてのG1馬誕生となり、まさに「待ち兼ねた福」が来た瞬間でした。
しかし、フクキタルは先述の裂蹄に悩まされたこともあり、その後はレースを勝つことができず(京都記念、大阪杯の2着が最高)、2000年に現役を引退します。
引退してからは種牡馬入りを果たしましたが、しばらくすると種牡馬を引退し、山梨県の小須田牧場で余生を過ごしました。
余生を過ごす中でもファンや地元の方に愛され、最後まで沢山の人に福を運んだ名馬でした。

マチカネフクキタルの魅力を語ろう【2020生誕祭】 マチカネフクキタル探訪 in小須田牧場

マチカネフクキタルという馬名について

一度聞いたらなかなか忘れられない、マチカネフクキタルという馬名。当時から珍馬名としてコアな人気があったそうです。
ストーリー内でも名前をもじられた台詞が散見されました。

マチカネ」という冠名は、馬主の細川益男さんが使用されていた冠名です。由来となったのは大阪府にある待兼山。待兼山は、細川さんの出身である大阪大学と深い関係があるそうです(豊中キャンパスが待兼山にあるとか)。

参考 待兼山に学ぶ – 大阪大学総合学術博物館大阪大学総合学術博物館

また、マチカネの冠名と共に細川さんが心に秘めていたのは、新古今和歌集に収録されている「夜をかさね待ちかね山の郭公(ほととぎす)くもゐのよそに一声ぞきく」という一首(訳:幾晩も待ちかねていた待兼山の郭公を、空の彼方にやっと一声聞いたことだ。)。

細川さんは、所有馬が大舞台を勝利したときに「マチカネ」の意味と共にこの歌を発表しようとしていたそうなのですが、馬主になってから約30年の間、所有馬でG1を勝利することが出来ずにいました。
そんな中、長い年月を経てようやくオーナーにG1タイトルをプレゼントしてくれたのが、「マチカネフクキタル」。
名は体を表すとはよく言いますが、苦節を重ねた先に大舞台で結果を残した馬の名前が「待ち兼ね福来たる」なんて、何とも不思議な話ですよね。

この名前を細川さん自身が付けられたとなれば、より感動的なのですが、実はこの名前は公募で選ばれたもの。
同期には、同じく公募で命名された「マチカネワラウカド」という馬がいて、2頭合わせて「笑う門には福来たるコンビ」を結成していました。

ちなみに、マチカネワラウカドはダート路線で活躍し、1999年に「東海菊花賞」というG2のレースを制しています。
同期の珍名馬コンビが揃って「菊花賞馬」になるというのも面白い縁ですね。

シラオキ様とは

ウマ娘のフクキタルといえば、やはりシラオキ様の存在が大きいですね。フクキタルが信仰している「シラオキ様」とは、フクキタルの祖先であるシラオキのことです(フクキタルから見ると祖母の祖母の母にあたる)。

シラオキといえば、日本の由緒正しい血統を引き継ぐ名血かつ名牝。古くはフロリースカップという基礎輸入牝馬にまで遡ります(現代だとレイパパレがフロリースカップ牝系として有名です)。

参考 小岩井農場の基礎輸入牝馬 - Wikipedia小岩井農場の基礎輸入牝馬 - Wikipedia

現代ではあまり「シラオキ牝系」という言葉は聞かなくなりましたが、顕彰馬である「コダマ」を輩出したのを皮切りに優秀な子孫を残し、フクキタルが活躍した1990年代にはシラオキの血を引く強い馬が数多くいました。

史実では自分の祖先にあたり、日本競馬の偉大な牝系を作ったシラオキを神様として信仰している、ということになりますね。

ちなみに、スペシャルウィークウオッカもシラオキ牝系に属します。そのため、漫画「うまよん」では、フクキタルのコロコロ鉛筆にスペシャルウィークとウオッカがあやかるという場面もありました。

フクキタルの「お姉ちゃん」とは

あまり知られていませんが、マチカネフクキタルには3歳上の全兄(父母共に同じ親から生まれた兄)がいました。
ウマ娘では、そのお兄ちゃんが「お姉ちゃん」となってフクキタルの過去話に登場します。個人的にですが、ストーリーに「姉」という単語が出てきた時は嬉しかったですね。

さて、フクキタルの姉(兄)について語るには、フクキタルの故郷の話をしないといけません。
フクキタルは、北海道浦河町にある信成牧場という牧場で生まれました。信成牧場は、元は1頭の繁殖牝馬から始まった小さな牧場で、フクキタルが生まれる以前に重賞を勝った生産馬はただ1頭(G2馬)だけでした。

しかし、ある時信成牧場に転機が訪れます。それは、繁殖牝馬「アテナトウショウ(フクキタルの母)」との出会いです。アテナトウショウとは、「天馬」と呼ばれたトウショウボーイを父に持ち、シラオキを牝系に持つ良血馬。当時、「生産者としてG1馬を輩出したい」という想いを持ちながら、基礎牝馬を探していた牧場のオーナーは、アテナトウショウのオーナーブリーダーに必死でアプローチをかけ、一度は断られながらも購入にまでこぎつけたと言います。

そしてその後、アテナトウショウとクリスタルグリッターズを配合し、生まれたのがフクキタルのお兄ちゃんです。
フクキタルの兄はその年の産駒の中でも抜群の才能を持っており、関係者から連絡が殺到するほどの素質馬でした。信成牧場のオーナーは「ついにG1を勝てる馬が誕生したかもしれない」と胸を高鳴らせたそうです。

しかしその折、お兄ちゃんは頚椎(けいつい)を悪化させ亡くなってしまいます
小さな牧場の悲願が叶うかもしれない、と思った矢先の出来事でした。

それでも諦めきれないオーナーは、もう一度クリスタルグリッターズとアテナトウショウを配合させます
そうして生まれたのが、マチカネフクキタルです。

兄の分まで」と手塩にかけて育てられたフクキタルは、2歳まで怪我もなく丈夫に賢く育ちました。

フクキタルはストーリー内で「自分は姉よりも劣る」「よく比べられる」という事を口にしますが、ストーリーで本人が語るほど「ダメダメ」では決してありません
素質は確かに劣るかもしれませんが、フクキタルも十分能力のある馬で、デビュー前から良い動きを見せていました。

むしろ、牧場の方たちはフクキタルを兄の生まれ変わりだと思って大切に育てていたそうなので、兄の走りと比較して悪く言うようなことはしなかったんじゃないかと思います。

そしてフクキタルは、とうとう信成牧場生産馬初のG1馬になります。馬主だけでなく、生産者にも待ち兼ねた福を届けた馬なのです。

生死については触れていなかったので、あえてぼかしているのかなあ、と思いきやサラッと「死んじゃった」と発言したので驚きました。

追記)2021年10月10日に信成牧場へ行ってきました。フクキタルの生まれ故郷は今も健在です。




フクキタルはステイヤー?

日本ダービーの後、菊花賞へ進むことが決まった時、フクキタルは絶望します。「距離が長過ぎる!」と。

そう。今でこそフクキタルはステイヤー扱いされていますが、この時点ではマイル~中距離の馬だと思われていたのです。
その理由は、フクキタルの血統にあります。

フクキタルの父クリスタルグリッターズは、ブラッシンググルーム(ナスルーラ)の系列で、マイル志向のスピードが持ち味。母アテナトウショウの父トウショウボーイは、自身は有馬記念などを勝っていますが、こちらも祖先はナスルーラの系列で産駒もスピード志向が強めでした。

ナスルーラとは
現代の五大系統のひとつで、簡単に言うとスピードの祖先です。母系によって様々なタイプを輩出しますが、基本的には高いスピード持続力が持ち味。ウマ娘でいうとサクラバクシンオーがナスルーラ系としてとても有名です。

そのため、ストーリー内のフクキタルも「一家にステイヤーはいない」「距離が長過ぎる」と弱音を吐いているのです。

では、どうしてフクキタルは菊花賞を勝つことが出来たのか?
これは諸説ありますが、個人的には「当日のレースがかなりのスローペースになった」というのが大きいと解釈しています。
スローのよーいどんになった事で、スタミナよりも切れ味の勝負になったことがフクキタルに向いたのかなと。

「距離が長いから」と最初から諦めてしまっていたら、この幸運をモノにすることは出来なかったかもしれませんね。

マチカネ軍団の小ネタ

ストーリー内でひそかに囁かれているワードの中には、本当にいるマチカネ軍団の名前が含まれています。
マチカネイワシミズ」と「マチカネコイノボリ」は実在する競走馬です。

なお、この後「マチカネノボリリュウ」というワードも出てきますが、これは文字数制限的に実現不可能ですね(笑)。
ちなみに、「マチカネコイノボリ」のお父さん「キタノカチドキ」は、神戸新聞杯→京都新聞杯→菊花賞の「フクキタル三冠(勝手に命名)」を達成していたりします。
現代だと京都新聞杯が5月に移り、連続感が無くなったので寂しいですが、この3戦を皆勤してくれる馬は今でも少なくないので、ひそかに応援しています。

今年(2021年)は、京都新聞杯優勝馬のレッドジェネシスが神戸新聞杯に出走するようです。がんばって!

札幌記念とライラック

札幌記念に挑む際、フクキタルは札幌市の花であるライラックの話をします。
ここでライラックを取り上げたのは偶然だと思いますが、ライラックとウマ娘のフクキタルにはほんの少しだけ関係があるのです。

2020年大阪杯。G1恒例の公式イラストには、過去に大阪杯で好走しているフクキタルが採用されました。
当時は大変喜んだものの、大阪杯を勝利したわけではないフクキタルが採用されるというのは、いささか不思議な出来事でした。
しかし、次の瞬間出馬表を思い出し、私は予感しました。「ああ、これはサインかもしれない」と。


画像引用:ウマ娘プロジェクト公式アカウント

その大阪杯で優勝した馬の名前はラッキーライラック。ラッキーライラックの名前の由来は、幸運の象徴とされる5枚花のライラックをそう呼ぶことから来ています。
ライラックは本来4枚の花びらから構成されますが、稀に5枚花のライラックが存在し、それを見つけると幸運が訪れるという言い伝えがあるのです。要は四つ葉のクローバー的なやつですね。

参考 【ライラック】の花言葉とは?色ごとに異なる花言葉や言い伝え(まとめ) | DomaniDomani

ストーリー内でフクキタルは、ライラックのことを「『来ラック』で縁起が良い」と話していました。フクキタルのイラストが採用されたG1で、幸運の象徴の名前を持つ馬が勝つというのは不思議な縁ですね。
ちなみに、ラッキーライラックも札幌記念に出走したことがあります(3着)。

「それぞれの天寿」について

育成イベント内でシニア級の9月に発生するイベント「それぞれの天寿」は、2人(2頭)の生き様を現した名シナリオですね。
お互いの「幸せ」について話し合うシーンなのですが、フクキタルは「大切な人と一緒にいられるのが幸せ」「長生きすればもっと幸せになれる」と答え、スズカは「スピードの向こう側に何かが待っている」「もう少しで掴めそうな気がする」と答えます。

菊花賞の後は1度も勝利することが出来なかったものの、引退後も人々に末永く愛されて老衰で亡くなったマチカネフクキタル。
誰よりも速く、ファンの「夢」を体現した姿で走り続け、レースの途中で光を超えてしまったサイレンススズカ。

対象的な生涯を送った2頭ですが、シナリオの中ではお互いの幸せの形を追い求め、共に掴もうとしていました。

個人的な話で申し訳ないのですが、私は小須田牧場でフクキタルと会うたびに、「沢山の人に福を与えたフクキタルは、今幸せを感じているだろうか」と考えていました。
もちろん競馬の世界で考えれば、穏やかな牧場で余生を送れることは相当恵まれています。それがG1一勝馬で、早くに種牡馬を引退したとなれば尚更です。
ただ、それはあくまで人間側の基準。私は、「フクキタル自身が幸せを感じていてほしい」とずっと思っていました。

その上でこのストーリーを読み、
フクキタルが自分の幸せを見つけられたなら、良かった
と言ってくれたスズカに少し救われた気がしました。
そして、シナリオのエンディングでは「どんな時も、ずっと幸せだったんです。本当に、本当に私……!」という言葉に涙しました。

ウマ娘はもちろん創作物ですが、本人の口から「幸せだった」という言葉が聞けて本当に良かったです。
ウマ娘、ありがとう。


【参考文献・資料・ページ】
週刊名馬100マチカネフクキタル|Gallop
マチカネフクキタル|netkeiba
マチカネフクキタル|Wikipedia

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。