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命懸けの真理追求『チ。-地球の運動について-』の魅力を語る

突然ですが、地球がどのような形をしているかご存知でしょうか。
綺麗な球体? 楕円形? 平面? 亀と象の上に乗っている?

答えは「回転楕円体」という、蜜柑のような形だそうです。
え、そんなの常識だって?

ですが、もし全員が「今の時代に教えられた常識」を一切疑わないままだったとしたら……令和の今も、大地は動いていなかったかもしれません。

今回は、私が愛してやまない名作漫画『チ。―地球の運動について―』の魅力を語らせていただきます。本作は真理の追求に命を懸けた者たちの物語であり、多様な哲学的命題と人間の営みが描かれています。

【動画版はこちら】

① ストーリー紹介 命を賭した真理の追求

本作の舞台は15世紀のP国(ヨーロッパ某国)。この世界では天動説が信じられており、地動説の研究は主に宗教上の理由から「異端」として迫害されていました。
そんな世界で、真理の追求と地動説の証明に命を懸けた者たちの物語です。

物語は、ラファウという12歳の少年から始まります。彼は頭脳明晰な好青年として常に周囲の期待に応え、人生を合理的に攻略する世渡り上手。
「周囲が望む姿」に応え続けるラファウですが、彼は唯一「天文」だけは自分の純粋な好奇心から観測していました。

そんな折、異端の罪で捕まった研究者フベルトと出会い、地動説という仮説を聞かされます。最初は否定していたラファウも、思考を巡らせるうちに地動説の合理性と美しさに惹かれはじめ、地動説を証明したいと考えるようになりました。

地動説を支持すれば最悪の場合処刑される世界。
そんな世界で好奇心と知性に突き動かされた者たちが、地球を動かしはじめる物語です。

揺るぎない信念と知ることの意味

地動説に触れたラファウは、フベルトに「どうして神(天動説)を否定する危険を冒してまで地動説を研究するのか」と質問します。それに対し、フベルトはこう返しました。

人は皆現世は醜く貪欲で汚れていて、天国は清く美しいと言う。
だが、私はそんなの認めない。
神が作ったこの世界は、きっと何より美しい。
引用:『チ。―地球の運動について―(1)』(著:魚豊 出版:小学館)65p

フベルトには「この世界は美しいはずだ」という確固たる信念があります。単に既存の権威を疑うのではなく、自分を突き動かす確固たる信念を持っている点が、本作の登場人物たちの大きな魅力です。

また、本作は「知りたいという根源的な好奇心」「物事を知るとは何か」が描かれます。
例えばラファウは地動説を研究する前と後とでは「星空の見え方そのもの」が変わり、以前よりもハッキリと見えるようになります。
知ることで、世界の見え方が変わるのです。

それは異端審問官側も同様です。彼らは規律に傾倒するあまり、地動説の研究者が「悪魔に取り憑かれた」ように見えている。「知る」ことは、良くも悪くも視点を変えてしまいます。

史実との違いについての補足

本作は実際の歴史とは異なる設定も含まれていますが、物語の終盤できちんと整合性も取れているため、私は「あったかもしれない物語」として楽しむのが正解だと考えています。

ただし今回は一応補足として、2点の大きなフィクション的改変についても触れておきます。

1. 地動説に対する迫害
作中では地動説の研究や支持自体が処罰の対象になっていますが、史実ではそこまでの極端な弾圧はなかったと考えるのが妥当です。

一般に有名なガリレオ・ガリレイの宗教裁判も、単に「地動説を主張したから処罰された」とは言い難い。
彼が宗教裁判にかけられたのは、地動説を主張したからではなく、彼自身の立ち居振る舞いや当時の世相が複合的に絡んだことに起因します。

例えば1回目の宗教裁判のきっかけとなったのは弟子に宛てた手紙。ここでは地動説の支持とともに「聖書の解釈」に言及されました。
そしてその後、真偽は不明ながら手紙の内容が悪い意味で改変され、聖書の内容や聖職者を痛烈に批判したと認識されてしまいます。

たとえば、ガリレオが送った「カステリ宛の手紙」にある「聖書のなかには、言葉のむき出しの意味にとると、真実からかけ離れていると思われる多くの命題があります」という部分は、ロリーニが送ったものでは「多くのまちがった命題があります」となっていた。

引用:『ガリレオ裁判-400年後の真実』(著:田中一郎 出版:岩波新書)67~68p

この手紙を発端に様々ないざこざが起こり、ガリレオはこの裁判で「地動説を支持する意見を放棄せよ」と命じられました。

そして、決め手となったのはその後に彼が出版した『天文対話』という著書。
本書の出版は、「地動説をあくまで仮説として論じること(絶対の真理として主張しない)」や「教皇が指定した文言を入れること」など、いくつかの条件と検閲を前提に許可されていました。

本来であれば問題なく出版できたところを、本書ではそれらの約束を反故にした上に、プトレマイオスの立場を取るシンプリチオ(直訳:頭の単純な人)という人物を「滑稽なやられ役」として描いたことで、友人でもある教皇の怒りを買いました。

「聖省長官が嘆いておられるのは、本が元の通りに印刷されていない、とりわけガリレオ氏を納得させてコペルニクスの見解は誤りだとはっきりと言い渡すために聖下自身の考え出された二、三の論証が終わりの部分に欠けていることです」と書かれていたのである。

…さらに、「聖下の議論に関しては、本の最後のほうにひとつだけで、全編を通じてほとんど尊敬されず、むしろ嘲笑され冷笑されている人物であるシンプリチオに語らせている」ということも指摘されていた。

引用:『ガリレオ裁判-400年後の真実』(著:田中一郎 出版:岩波新書) 114、115p

『天文対話』は3人の登場人物がそれぞれの立場で議論をするという内容なので、ガリレオ自身が地動説を正しいものとして主張しているわけではありません。
なのでその体を守り、それぞれの立場をもっとフラットに描いていれば出版自体は問題ありませんでした。

また、当時は30年戦争の真っ最中だったこともあり、大きな権威をいたずらに貶める行為は当然厳しい目で見られました。
ガリレオは結果的に「かねてからの言いつけ」を守らなかった形で教皇の反感を買っているので、このいきさつは「地動説を主張したら処罰された」とはまとめられないと思います。

また、他には地動説を唱える者として処刑された哲学者ジョルダーノ・ブルーノも挙げられますが……
彼は様々な形(24の罪状)で神や教会の権威を侮辱しており、ガリレオと同様に「地動説の支持」が処罰の引き金になったわけではありません。

2. 天動説の正当性

もしかしたら本作を読むと「天動説はめちゃくちゃな理屈だけど宗教的に整合性が取れているから」支持されているように感じるかもしれませんが、その理由だけで支持されていたわけではありません。

単純に天動説は「当時の科学として有力な説」でした。

天動説は「地球が動かない」という前提が事実と異なっていたのであって、「地上から観測していた記録」や「それに基づいた理論」の全てが間違っていたわけではありません。
当時はその理論でかなり多くのことが説明できたと言います。

つまり本来は「先鋭的な科学」VS「保守的な宗教」の構図ではなく、「科学の真理」VS「科学の真理」という構図になっていたはずです。
実際、我々が現代で目にしている学説も「現在の最有力説」。それが絶対の真理である保証は未だにないのかもしれません。

とはいえこれらはあくまで補足。本作において重要なのは「信念を原動力に命懸けで真理を追求する」という構造です。

② 構造解釈 「チ」を継承する人間たち

本作では複数の人物が「地動説を継承」する形で物語が展開します。先人からの積み重ねで発展するという学問の基本が可視化された構造です。

ここで重要なキーワードとなるのが「託す」という言葉です。

この言葉は一見「自分の想いや信念、情熱を後世に……!」といったドラマチックな印象を与えますが、本作では少し違ったニュアンスで使われていると私は解釈します。

「チ」における託すという言葉は、不確定要素を多分に含むものなんです。

つまり、託した人が自分の研究を引き継ぐ保証なんてない。引き継いだとしても、自分の思い通りに解釈してくれる保証はない。否定される可能性も、台無しにされる可能性も、抹消される可能性もある。

それでも「自分が全力で挑んだ成果」をこの世界に残しておく。
自分の望みや思いを君に叶えてほしいから託すというより、「次の時代の主人公に自分の成果を託す(その主人公がどうするかは知らない)」という意思を感じます。

人は先人の発見を引き継ぐ。
それも、いつの間にか勝手に自然に。
だから今を生きる人には過去のすべてが含まれる。

引用:『チ。―地球の運動について―(7)』(著:魚豊 出版:小学館)77p

人間は皆歴史の上に成り立つ。そして人の知的好奇心は止めることが出来ない。

だからこそ、この世界に何かを残すことにはきっと意味があるはずだと信じている。
自分の成果がどうなるかは分かりませんが、「人類が前に進んでいくこと」は必然的なのかもしれません。

文字という奇跡

また、個人的に好きなのは「言葉による継承」にもフォーカスされてることです。

当時、文字の読み書き(識字)が出来るのは一部の階級層だけでした。第二章の主人公であるオグジーは文字が読めないため、「文字が読めるってどんな感じなんですか?」と質問します。

それに対し、とある研究者の女性は「文字はまるで、奇蹟ですよ」と返しました。

文字は、まるで奇蹟ですよ。
アレが使えると、時間と場所を超越できる。
200年前の情報に涙が流れることも、1000年前の噂話で笑うこともある。
そんなの信じられますか?
文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。
そんなの…まるで、奇蹟じゃないですか。
引用:『チ。―地球の運動について―(3)』(著:魚豊 出版:小学館)175~177p

彼女は「文字を読むときだけは、かつていた偉人たちが私に向かって口を開いてくれる」と言います。

私が古典を愛する理由も、この言葉に詰まっているなと感じました。思えば古い書物を読んでいるとき、「長い時を超えて自分に届いた」こと自体にも既に感動しているんです。

彼女は「自分たちは一つの時代に閉じ込められているけど、文字があれば過去の人物の言葉を聞け、未来の人物に言葉を伝えられる」ことを奇跡と呼び、文字という文化を尊んでいます。

当たり前のように文字が存在し、またそれを読み書きできる環境にある現代日本ですが、彼女が言うように文字は奇跡に近い存在だと私も常々感じています。

③ メッセージ解釈 地動説を信じて、疑え。

私が『チ』を読んで感じたメッセージの1つは「考え続けることの重要性」です。
その象徴的なものとしては、「タウマゼイン」について言及される場面でしょうか。

直訳では「驚き」を表すギリシャ語で、知的な発見や疑問から起こる驚きの感情をこう呼びます。
例えば古代哲学者のプラトンは、対話篇『テアイテトス』の中で「タウマゼインは知を愛し求める者(哲学者)の感情だ。哲学の始まりはこれ以外にはない」と述べています。

なぜなら、実にその驚異の情こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね。
つまり、求知(哲学)の始まりはこれよりほかにはないのだ。

引用:『テアイテトス』(著:プラトン 訳:田中美知太郎 出版:岩波文庫)55p

タウマゼインについては、『チ。』では「『?』と感じること」だと説明されていました。
この世界の色々なものに対して「何で?」と考えるということ。

そして本作の中で、とある人物はタウマゼインについてこう結論づけました。

僕もタウマゼインを感じます。それを肯定し続けます。
疑いながら進んで。
信じながら戻って。

美しさに、煌めきに、逼り詰めてみせます。
引用:『チ。―地球の運動について―(8)』(著:魚豊 出版:小学館)205pより

この人物は過去に、行き過ぎた信念や行き過ぎた疑念による悲劇を目の当たりにし、知的欲求そのものに失望感を抱いていました。

しかし自分の中にあるタウマゼインを認識し、この感情を肯定しながら美しさを目指しはじめます。
でも、それは決して1人ではなくて、この歴史と社会における「大勢の人間の中」で。

この世界の不思議を知りたいと望むこと。
自らの信じたいものを信念として進むこと。
他の意見に耳を傾け、信じたものが間違っているかもと疑うこと。

この「知りたい」「信じる」「疑う」の3つを持ち続け、「?」と考える重要性が、本作のメッセージであると解釈します。

例えば、もし現代で天動説を主張したら……誰かに馬鹿にされるかもしれません。
でも、馬鹿にしている人の中には「教科書に書いてあったことと違うから」という解像度の人もいる。

自分が生きている時代に「これが常識だよ」と知識だけ教えられたことを、絶対の真実として他人の意見を笑う行為は、果たして作中の異端審問官の姿勢と何が違うのでしょうか。

作中では研究者側が「正解(地動説)」、迫害側が「不正解(天動説)」なので、私たちはラファウに応援の眼差しを向けることが出来ます。
しかし、本来そこに「正誤」はあまり関係ない。

異端審問官たちは「天動説を支持しているから」間違っているのではなく、既存の枠組みを一切疑わず、反対意見を異端として全て排除する態度が間違いなのです。

第4巻でオグジーは「地動説の研究姿勢」について次のように言いました。

確かな証拠がない以上 最後の最後、本当に地動説が真理だとは誰も断言できない
自らを間違ってる可能性を肯定する姿勢が、学術とか研究には大切なんじゃないか

第三者による反論が許されないならそれは――信仰だ。
引用:『チ。―地球の運動について―(4)』(著:魚豊 出版:小学館)121~123p

「自分の考えは正しいはずだ」という信念と、「自分の考えは本当に正しいのか」という疑念は両立します。

この考えが両立するから人は迷う。不安になる。怖くなる。
矛盾ばかりで、どうしたらいいのか分からなくなる。

でも、きっとそれでいいんです。
「知りたい」という直感に従い、「信じる」という信念を情熱とし、「疑って」立ち止まることを恐れない。

そうして「?」と考え続け、共に生きる「21世紀の人」として歴史を作ってまいりましょう。

…でも、信念を忘れたら、人は迷う。

迷って。きっと迷いの中に倫理がある。
引用:『チ。―地球の運動について―(7)』(著:魚豊 出版:小学館)50pより

取り上げた作品

『チ。―地球の運動について―』(著:魚豊 出版:小学館)

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